ドーゼ症候群長男+やんちゃ次男+未熟シンママの日記

難治性てんかん&軽度知的障害長男と、にぃに大好き次男、未熟なママのあれこれ

ここ1年強の出来事ダイジェスト

前回の日記より1年と4か月が経ちました…。

この1年強、今までの人生で一番激動で、ブログのことを忘れるほどでした…。

切羽詰まりすぎて、何かに書き出したい衝動に駆られ、ブログのことを思い出しました。整理するためにも、徐々に詳しく書いていけたらと思います。

まずは、ここ1年強の出来事を生々しく記載します。

・20年4月 次男誕生♪

・20年5~6月 次男のお世話で精いっぱい&長男の保育園自粛で余裕のない毎日。 

徐々に長男が可愛いと思えなくなり、ちょっとしたことで怒ってしまうように。(毎日怒鳴るレベル) 毎日寝顔を見て、「ごめんね…」と謝り、自分を責めるの繰り返し。

産後のホルモンバランスの乱れか、とにかく主人と長男にイライラする毎日で、家族の空気も最悪。夫婦喧嘩も増える。このままではまずいと思い、心療内科にいくと「重度の産後鬱」と診断される。薬を処方されるも抑えられず、本気で「自分さえいなければ家族は幸せになれる」と思った。自分の首を絞めたこともありました。

・20年8月 産後鬱がまだ続くなか、長男が2度ほど発作を起こす。

近くの小児科で受診すると、大きな病院で検査した方が良いと言われ、紹介してもらう。診断結果は「良性の小児ミオクロヌースてんかん」。悪いものではなく、年齢を重ねるとなくなるので、様子をみていきましょうとのこと。

・20年9月 長男が夜明けに5分ほどの全身の痙攣を起こす。それが毎日続くようになる。脳波を検査し、抗てんかん薬を処方してもらう。それでも痙攣は続き、週に1度長男と次男を連れての病院通いが始まる。コロナ禍の中、子2人を連れての病院通い。次男はまだ5か月。ぐずるし授乳も必要。よく病院の授乳室で泣いていました。

・20年11月 抗てんかん薬をいくつ飲んでも、薬を変えても治まらない長男の痙攣。

寝ているときだけでなく、起きている間も発作を起こすようになった。そこで、病院で1週間の検査入院をすることに。そのころ、主人の借金が発覚。実は以前にもあり、「なんでまた!?」と問い詰めると、「勝手に人の手紙を読むな!信用できん!とキレられ、長男も入院日3日前に家を出ていく。長男に付き添ってもらう予定だったので、主人の両親、私の両親を呼び出し、主人と何とか連絡をとり、主人は一時帰宅し、長男と入院。検査入院の結果、徐々に脳波が乱れてきているとのこと。良性のものでなく、「てんかん」と診断される。そしててんかんの専門医がいらっしゃる病院へ移ることに。

・20年12月 主人が家のお金を抜き出していることが発覚。履歴をさかのぼると、今の家をかった2年以上前からずっと。総額にして200万円ほど。これらは全部消費。夫婦関係もボロボロだったので、お互いの同意で離婚に向けて話し合いをはじめようとする。そんな時、長男が階段を下りているときに発作を起こし、階段から落ち、頭を強打。意識が飛んでいたので救急搬送。大事に至らなかったものの、いつ発作がわからず危険ということで入院。人生で最悪のクリスマスだった。 その後、今は離婚している場合ではない。今は長男のために一致団結すべきとなる。

・21年1月~3月 長男の発作は治まるどころか一向にひどくなり、1か月のうちほとんど入院、少し退院してはまた入院、の繰り返し。何とか長男の誕生日は退院させてほしいとお願いし、誕生日の前後だけ退院させてもらう。

21年4月 私復職。次男保育園に通い始める。長男も少し発作が治まったように思えたので一旦退院し、進級。しかし2週間したころまたひどくなり、再び病院生活。

21年5-7月 コロナ禍で病院の面会は1日@1人だけできて、時間は30分。幸い在宅勤務ができたので、在宅勤務しながらお昼に病院に行く生活が定着。

21年8月現在 長男はまだ入院中。薬はもうこれ以上やり方がないと言われ、食事療法を始めることに。そんな中、また主人の借金が発覚し、私は離婚を決意しました。まだ主人には言っていませんが、これから準備をしていく予定です。

…という1年でした。

持病のある長男と、次男を育てていけるかかなり不安です。

でも、これ以上夫婦関係は継続できないと思いました。

子2人は、命を懸けて今後守っていきます。