ドーゼ症候群長男+やんちゃ次男+未熟シンママの日記

難治性てんかん&軽度知的障害長男と、にぃに大好き次男、未熟なママのあれこれ

定期検診

9/14に長男が退院し、今日が定期検診日。今までは退院後から定期検診までの間に発作がひどくなり、検診を待たずに入院の繰り返しでしたが、今回初めて定期検診まで発作がひどくならなかった!まだ発作は起きているものの、今度は1ヶ月後に定期検診。このまま完治に向かいますように‼︎

 

今日の検診は、前回の退院時に旦那が予約したもの。なのに今朝、「長男の病院で次男のお迎え行けないから、次男のお迎え宜しく。」と伝えると、忘れていたのかそこから不機嫌。わかったの一言もなく。

しかも今日、かなり強く台風が接近中。病院がないにしても、この暴風暴雨の中、私が長男を連れて、次男のお迎えに行かせるつもりだったのだろうか。

昨日も、朝私が調子が悪く少し横になっていたら、自分は子どもを置いてとっとと仕事に行く始末。 

頼りにならん。この人は家族のことが心配じゃないのか?本当に信用できない。

再入院

長男、就寝中の発作が出てきたので、今日からまた入院。入院した1日目は、何とも言えない寂しさを感じる。長男が家にいるととっても賑やかで、笑いが沢山ある。次男も、長男がいるとめちゃくちゃ笑う。 今日からまた静かな我が家。寂しいな。

 

1週間、仕事しながら長男をみて、家事をした。仕事も忙しく、子達が寝てから夜中までした。体力は限界だった。何も手伝わない夫。普段と変わらない生活を送る夫。何も思わないのだろうか。早く別れたい。でも子たちはパパが大好き。子どもたちのために、私が我慢すべきなの?

長男が退院しました

昨日、主治医の先生から、発作がほぼ見られないところまで来たので、一旦退院しましょうとお話があり本日退院しました。

 午前に退院し、久々に家に帰ってきた長男。やっぱり長男がいるととっても賑やかで、家の雰囲気がぱーっと明るくなる。そして次男も、長男のおどける姿を見てケタケタと笑う。あぁ、みんな揃った。うちの家族だなぁと感じた。

 発作はこの先良くなるか、悪くなるかは分からない。今まで良くなっては悪くなっての繰り返しだったので油断は出来ないけど、長男といっぱい遊びたい。ただ急に退院となったので、来週月末月初の過渡期の仕事をどうしようかと思うけど、どうにかしよう!笑

 

 そして離婚について…。主人は、子どもからしたら大好きなパパ。子供の面倒もよく見てくれている。長男が、嬉しそうに「パパとママとけんちゃん(次男)と一緒だね〜」という言葉が胸にささる。離婚したら、子どもたちは悲しむだろうな…。だからといって、耐えて夫婦関係を続けるべきなのか…。うーん。。

パラリンピック開会

長男の面会へ向かおうと家を出ると、ブルーインパルスを見れました。

長男も病棟の窓から看護師さんと見ていたようで、「ママ、ブルーインプ(うまく言えない)見たんだよ!5つも!」と興奮しながら教えてくれました。

離れていても、同じものを見てたんだね。

なんだかほっこり。

幸せな時間をくれたブルーインパルス、ありがとう。

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今までパラリンピックを見た事がなかった。オリンピックもあまり興味がなかったが、パラもあまり興味がなかった。シンボルさえも、今回の東京パラリンピックで初めて知った。

 長男がてんかんを発症し、知的障害を伴う恐れもあると言われた時、人生で初めて障がいを身近に感じた。実際、てんかん精神障害。最初は、受け入れられなかった。受け入れたくなかった。なんで自分の子が…と思うばかりだった。障がいは個性なんて言うけれど、綺麗事だと感じていた。

 でも今回のパラリンピックで、障がいを受け入れ、強みにしている選手や開会式のパフォーマーを拝見して、すごくかっこよく感じた。そして、自分の中の障がいへの考え方が、少し、変わったような気がする。

治療御守り

昨日、一番好きな番組「家ついて行っていいですか?」を見ていたら、神職をされている方が出ていて、その方の考え方、人への向き合い方がとても美しく、心が洗われた気分になった。歳を重ねるに連れて信仰心が薄れていっていましたが、ふいに長男の病気回復のお参りをしたいと強く思い、神社を調べていると芝大神宮には「治療お守り」があるとのこと。今日、仕事を午前で切り上げ、参拝してきました。

 約1年前、次男のお宮参りで参拝した芝大神宮。その時と同じような天気でした。空は澄んだ青空でピーカン。

 

 ここまで強く想いを込めて参拝したのは人生で初めて。頭を下げている時に、胸が熱くなった。

 この1年、人生の中で一番泣いた。長男の事を考えると、すぐに涙が出てくる。発作が起こって怖い思いをし、しんどそうな長男。急に脱力発作が起こり、転倒し、しなくても良い痛い思いを沢山している長男。顎なんて、3回も縫った。これからのことも不安だらけ。

 

このブログを読み返していると、私は自分の人生が「普通」なことにつまらなさを感じていたらしい。「普通」がいかに幸せなことか、身に沁みた。長男に対しても、何でこんなにイライラしてたんやろう。可愛い可愛い長男。次男。長男には申し訳なさでいっぱい…。今更後悔しても、遅いけれど…。

ここ1年強の出来事ダイジェスト

前回の日記より1年と4か月が経ちました…。

この1年強、今までの人生で一番激動で、ブログのことを忘れるほどでした…。

切羽詰まりすぎて、何かに書き出したい衝動に駆られ、ブログのことを思い出しました。整理するためにも、徐々に詳しく書いていけたらと思います。

まずは、ここ1年強の出来事を生々しく記載します。

・20年4月 次男誕生♪

・20年5~6月 次男のお世話で精いっぱい&長男の保育園自粛で余裕のない毎日。 

徐々に長男が可愛いと思えなくなり、ちょっとしたことで怒ってしまうように。(毎日怒鳴るレベル) 毎日寝顔を見て、「ごめんね…」と謝り、自分を責めるの繰り返し。

産後のホルモンバランスの乱れか、とにかく主人と長男にイライラする毎日で、家族の空気も最悪。夫婦喧嘩も増える。このままではまずいと思い、心療内科にいくと「重度の産後鬱」と診断される。薬を処方されるも抑えられず、本気で「自分さえいなければ家族は幸せになれる」と思った。自分の首を絞めたこともありました。

・20年8月 産後鬱がまだ続くなか、長男が2度ほど発作を起こす。

近くの小児科で受診すると、大きな病院で検査した方が良いと言われ、紹介してもらう。診断結果は「良性の小児ミオクロヌースてんかん」。悪いものではなく、年齢を重ねるとなくなるので、様子をみていきましょうとのこと。

・20年9月 長男が夜明けに5分ほどの全身の痙攣を起こす。それが毎日続くようになる。脳波を検査し、抗てんかん薬を処方してもらう。それでも痙攣は続き、週に1度長男と次男を連れての病院通いが始まる。コロナ禍の中、子2人を連れての病院通い。次男はまだ5か月。ぐずるし授乳も必要。よく病院の授乳室で泣いていました。

・20年11月 抗てんかん薬をいくつ飲んでも、薬を変えても治まらない長男の痙攣。

寝ているときだけでなく、起きている間も発作を起こすようになった。そこで、病院で1週間の検査入院をすることに。そのころ、主人の借金が発覚。実は以前にもあり、「なんでまた!?」と問い詰めると、「勝手に人の手紙を読むな!信用できん!とキレられ、長男も入院日3日前に家を出ていく。長男に付き添ってもらう予定だったので、主人の両親、私の両親を呼び出し、主人と何とか連絡をとり、主人は一時帰宅し、長男と入院。検査入院の結果、徐々に脳波が乱れてきているとのこと。良性のものでなく、「てんかん」と診断される。そしててんかんの専門医がいらっしゃる病院へ移ることに。

・20年12月 主人が家のお金を抜き出していることが発覚。履歴をさかのぼると、今の家をかった2年以上前からずっと。総額にして200万円ほど。これらは全部消費。夫婦関係もボロボロだったので、お互いの同意で離婚に向けて話し合いをはじめようとする。そんな時、長男が階段を下りているときに発作を起こし、階段から落ち、頭を強打。意識が飛んでいたので救急搬送。大事に至らなかったものの、いつ発作がわからず危険ということで入院。人生で最悪のクリスマスだった。 その後、今は離婚している場合ではない。今は長男のために一致団結すべきとなる。

・21年1月~3月 長男の発作は治まるどころか一向にひどくなり、1か月のうちほとんど入院、少し退院してはまた入院、の繰り返し。何とか長男の誕生日は退院させてほしいとお願いし、誕生日の前後だけ退院させてもらう。

21年4月 私復職。次男保育園に通い始める。長男も少し発作が治まったように思えたので一旦退院し、進級。しかし2週間したころまたひどくなり、再び病院生活。

21年5-7月 コロナ禍で病院の面会は1日@1人だけできて、時間は30分。幸い在宅勤務ができたので、在宅勤務しながらお昼に病院に行く生活が定着。

21年8月現在 長男はまだ入院中。薬はもうこれ以上やり方がないと言われ、食事療法を始めることに。そんな中、また主人の借金が発覚し、私は離婚を決意しました。まだ主人には言っていませんが、これから準備をしていく予定です。

…という1年でした。

持病のある長男と、次男を育てていけるかかなり不安です。

でも、これ以上夫婦関係は継続できないと思いました。

子2人は、命を懸けて今後守っていきます。

 

愛育病院での出産

不安が続く世の中ですが、第2子が元気に産声を上げてくれました!2人目のお産は早いとは聞いていましたが、病院についてから2時間たいう、スピード出産でした。なによりも、元気に産まれて来てくれたことに感謝です。

 

 さて、第2子はおそらく最後の出産なので、東京の産婦人科御三家の一つともいわれる愛育病院で産むことにしました。第1子の時の陣痛、出産が本当に辛かったので、出産後の自分のご褒美にと、正直かなり期待していました。

 

しかし愛育病院での出産、入院をした感想は…

「いたって普通」でした。

むしろ、個人的には第1子の時にお世話になったJR東京病院の方が指導が丁寧で、ご飯も豪華だったような…。

 

いたって普通と感じた理由を説明すると、

①人気病院だから1日に産まれる赤ちゃんの数が多い→新生児室に預けても、ちゃんと見てくれてるか結構不安。お世話の方法も、自分からどんどん聞かないと教えてくれない。

 

JRの時は同日に産まれた赤ちゃんが1人だけでしたが、愛育は5,6人いたような。新生児室には常に10人以上の赤ちゃんが居て、ギャン泣きしていてもしばらくそのままな感じ、スタッフのみなんさん常にバタバタな感じがしました。その点JRは新生児室に多くても5人ほどだったので、助産師さんがいつも丁寧に指導してくださったり、色んな会話をしていた記憶があります。今回私は経産婦なのである程度は分かっていましたが、初産だったら結構不安じゃないかな…。

 

②お願いしても対応が遅い

→ナースコールで呼んでも来てくださるのが10分後だったり、シーツの替えをお願いしても忘れられていることが2回ほど有りました。

 

③大部屋の居心地が悪い

→これはその時の巡り合わせですが…、私の時は夜にずっと電話していた方がいて、スタッフのかたに注意していただきました。(大部屋内での電話は禁止と部屋に注意書きが貼ってある)

愛育で出産されるかたは、良識あるかたばかりだと勝手に想像していた自分が悪いのかも知れませんが…、その他ん?と思う行動をされるかたもいらっしゃいました。

 また母子同室なので、夜中にようやく自分の赤ちゃんが泣き止んだのに、他のかたの赤ちゃんが泣き出し全然寝れなかったり、夜中に出産されたかたの入院準備の音で起こされる日々でかなり精神的に辛かったです。個室が1日2万円〜の差額でありますが、途中で個室に移られるかたも多かったです。

 

ちなみにご飯はこんな感じ。

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特にお祝い膳とかは無かったです。

(週2回メニューが選択でき、その時にお祝いメニューを選ぶことはできました)

 

とまあ、こんな感じでした。

勝手に過度な期待を持っていた自分が悪いのですが、サービスは普通です。スタッフの皆さんはプロなので安心ですが、何せお忙しそうなので仲良くする感じではなかったです。

 

何よりも、無事に元気な子を出産できたことに感謝し、愛育病院での出産というネタが出来たので良い思い出とします(^。^)

 

#愛育病院